はじめに
こちらの’離婚したはなし’では、私が実際に経験した離婚について
エッセイ風に書いています。お時間がありましたら、お付き合いください。
前回の記事はこちら
急変する元旦那の態度
離婚してほしいと言った次の日から、K夫の態度が変わりました。
今までほとんど私任せだった家事を、’やっといたから!’と私が帰ってくるまでに終わらせたり、
お昼のお弁当のお礼を写真付きで送ってきたりしました。
飲みにもいかず、ひたすら従順な態度を取っていました。
(気持ち悪い)
すみません…。
私は急変したK夫の態度をみて、別れたくなくて媚びを売られている様にしか思えませんでした。
さんざん今まで言ってきた事を今更やろうとも、もはやもう手遅れなのです。
それ程までにK夫に心はありませんでした。
そんなK夫と家で一緒にいるとやはり気まずくて、自分の家なのに全くくつろげませんでした。
わざと残業して帰ったり、カフェや実家に寄ったりして時間を潰していました。
自分の帰る家がないような、そんな感覚でした。
離婚の話も進まないまま、退去日が近づいていました。
離婚届けと、迎えた退去日
離婚届けにはサインはしてもらえず、ましてやたまに’俺はNの事信じてるから’
などと訳の分からない事を言い、結局折り合いのつかないまま退去日に。
私の気持ちは変わることはなく、自分のところだけを埋めた離婚届けを2枚、K夫に渡しました。
‘今はまだ気持ちの整理がついてないかもしれないけど、自分のタイミングで書いて出して。’
破られて捨てられるかもしれない、と思いましたがその時はまた書けばいい、そう思いました。
その日の夜、K夫が引き取る予定になっていた家具をK夫の実家に運び込みました。
お義父さんがちょうど家にいて、荷物の少なさにとても不思議そうにしていました。
‘あれ?Nちゃんの荷物すくないねぇ?’
K夫に本当の事を言うのを口止めされていたので、返答に困りました。
(これで会うのが最後かもしれないのに…。
最後まで本当に卑怯なやつ。)
色々と迷惑をかけたお義父さんに、一言謝りたかったのですがそれも出来ずでした。
私も自分の荷物を全て実家に運び込み、引っ越しは深夜にやっと終わりました。
そして私たちはそれぞれの実家に帰り、ひとまず‘別居’という形になりました。
その日は終日引っ越し作業に追われて、すごく疲れていました。
早く休みたい気持ちはあるのですが、久しぶりの実家という事や
母親に対して、戻ってきてしまって申し訳ない気持ちで一杯でその日はなかなか寝付けませんでした。
‘帰る家’がある事のありがたさ
実家に戻ってから母親との生活が始まりました。
別居をする前のK夫と住んでいた家は居心地が悪く、
帰宅恐怖症になっていたので、安らげる家があるというのが本当にありがたかったです。
また、私の中でかなりの心境の変化がありました。
この頃の私は、K夫との結婚生活が辛かった為か、些細なことに対してもありがたみを感じました。
帰る家があるという事。
ご飯が食べられるという事。
あたたかいベッドがある事。
仕事がある事。
当たり前に感じていた事が全く当たり前じゃなく、とても価値のあるものだったという事に気づかされたのです。
私の実家は古くて汚く、恥ずかしくて友達を呼べなかったのが子供の頃いやでいやで仕方ありませんでした。
1日でも早く家を出たい!と思っていたので、まさか自分がまたここに戻ってくるなんて…
本当に人生何があるかわかりません。
そんな家ですら、‘あぁ、今まで私たちの事を守ってくれてたんだなぁ。’と
しみじみ感じていました。
ただ、ここまでの2~3か月間、さまざまな事が猛スピードで起こりました。
頭がおいついてないのか、考えすぎて眠れない事も多々あり、別居してから半年くらいまでは睡眠薬のお世話になっていました。
始まった母親との同居生活
女友達のような母親との生活は楽しかったのですが、年齢も60代という事もあり、
生活のこだわりがかなりありました。
実家では猫を2匹飼っていたのですが(母親から言わせると’2匹’ではなく‘2宝物’だそうです)
まず優先順位1位は猫たちでした。
猫が遊ぶ用の段ボールがあちこちに置かれていたり(どう見てもゴミ)
猫用の座布団が何枚もありました。
私が食器を洗おうとスポンジを探していると、使いかけのものが5個あったので、
その中の1番キレイなもので洗っていると
‘あっそれ猫たち用のだから!’と言われたり…
(猫用のがなんで一番キレイなの??)
本当に母親の自分ルールが細かすぎて、たまに衝突する事もありました。
でも、母親は超頑固なのであまりルールを変えてくれることはなく。
その度に
ここは会社で母親が社長、私はいち社員なんだ。
と、思う事にしました。
そうする事によってだいぶ気にならなくなりました。
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